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ソウル’88オリンピック~30年前 |
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最近、2020東京五輪に向けて、スポーツ関係の放送も増えている気がする。 30年前の、1988年9月17日から10月2日までの16日間にわたって韓国の首都ソウルで、第24回オリンピック競技大会が開催された。 マスコットは虎の男の子がモチ-フの「ホドリ」ちゃん。ポスターだけではなく、クイズ番組の得点がわりに置かれるなどいろいろなホドリ・グッズが作られた。 88(パルパル)オリンピックの前には、五輪開閉会式等のPDをされた李御寧先生監修で紹介本を出し、衣食住、思考、行動方式など基本的な勉強も少しすることもできた。 大会の方は、カール・ルイスやF・ジョイナーなどの陸上から、日本では、鈴木大地の水泳、シンクロの小谷実可子ら、柔道の斉藤仁、体操の池谷幸雄、西川大輔、レスリングの小林孝至、佐藤満と…競技に、メダル争いに目を奪われた人も多かった。マスコミ関係からの問い合わせも多岐にわたり、多かった。このとき、テコンドーが公開競技として行われ、その後、2000年シドニー・オリンピックのときから正式種目として行われた。 1979年、サンシャシン60ビルの5Fに開院当初から韓国文化院でも開講していた韓国語教室も賑わい、それまで少し暇だった文化院もいろいろな人が訪れるようにもなり、NHKでも1984年度から放送が始まっていた。 閉会式で歌われた金蓮子の「朝の国から」また、「ソウル賛歌」「離別」のパティ・キム、「カスマプゲ」の李成愛、「椿娘」の李美子、「窓の外の女」、「釜山港へ帰れ」の趙容弼など韓国の歌もこの頃いろいろなところで聞かれるようになった。 韓国映画分野も、87年にヴェネツィア国際映画祭で林権澤監督の「シバジ」で姜受延(カン・スヨン)が主演女優賞を受賞し、「風吹く良き日」「旅人は道でも休まない」などで人気のあった李長鎬監督や、アメリカで海外オールロケ映画「ディープ・ブルー・ナイト(深くて青い夜)」を裵昶浩監督が撮ったりして、韓国映画も人気が出るようになった。 毎月韓国映画上映会を韓国文化院では行っていたが、韓国映画や歌謡界など幅広い交友関係を持っていた佐藤邦夫先生のアレンジで、林権澤監督や安聖基といったゲストを呼んで池袋の西武百貨店のスタジオ200で「韓国映画・アン・ソンギ特集」といった韓国映画上映会が行われ、スタジオ200では担当された小田切さんや八木忠栄さん、久野敦子さんら多くの方と知りあった。また、池袋で「東京国際演劇祭‘88池袋」も開催された。 歌や映画以外でも‘88オリンピックまでは、ほんとうにいろいろな人の出入りも多く、あちこちでイベントも行われ、何だか忙しかった。 ところが、翌年はぴたっとイベントも行われなくなった。 スタジオ200も1991年に閉館となったが、少しして90年代に入ると、ミニシアターが出来たり、地方での映画祭が始まり、300人劇場や川崎市市民ミュージアム、福岡市総合図書館などで「韓国映画の全貌」や「アジアフォーカス・福岡映画祭」など韓国の映画を観る機会が少しづつ増えていった。 90年代終わりくらいから始まった韓流ブームの先駆けだった。 原田美佳 by Mika Harada |
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