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江陵に咲いた花 申師任堂 |
春の花の凛とした美しさは、長く厳しい寒さを耐えた後の喜びを表現しているのだろうか。ケナリ(れんぎょう)とともに韓国に最初に春を告げるのは、チンダルレ(朝鮮ツツジ)である。チンダルレはチャムコッ(本当の花)ともいわれる。 鉄錆色の殺風景な山肌がピンク色にうっすらと染まる風景…それが20代初めに私が目にし脳裡に刻まれた韓国の原風景である。 韓国ドラマ「サイムダン~色の日記~」が日本でも韓国とほぼ同時に放送され、昨年の旅がよみがえる。 |
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チンダルレは春を告げる花...花だけが先に咲き無彩色な山をピンクに彩る。 写真:JeongGyu Gim (김 정규)江陵市 |
申師任堂(シン・サイムダン)とはどんな女性だったのだろう。昨年の夏の暑い盛りに、韓国江原道江陵(カンヌン)にある彼女が生まれ暮らした烏竹軒(オジュッコン)を歩きながら、陽炎のような彼女のイメージを追い求めていた。 本名は申仁善(シン・ニンソン)、師任堂は号である。山水と草虫図を好んで描いた朝鮮時代の天才画家で詩人、書家である。偉大な儒学者である栗谷・李珥(ユルゴク・イイ:イイは号)を産み育て、子弟教育に熱心な良妻賢母、女の鑑といわれている。 これまで、妓女ファンジニや詩人の許蘭雪軒のように小説化されたことがないのは、そのあまりに立派なイメージばかりが先行したためであろうか。私自身、正直なところ彼女に共感を抱くことができなかった。 彼女の実像を知る術はなく、松の香り高い江陵の地を旅しながら私は、師任堂が故郷の自然に深く影響を受け豊かな感性を身につけ、嫁ぎ先のあるソウル(漢陽)に住むようになってからも故郷江陵を思い絵に描いただろうことは想像に固くない。 師任堂は、4男3女をもうけ38歳まで江陵の生家で暮らした。母親の助けがあったとはいえ、繁雑な家事雑事に追われる暮らしのなかで描くことを諦めなかった理由は何だったのだろう。体は疲れ果てても寝る時間を惜しみ絵に向かうときこそが心の平安を得、自分自身を取り戻すことができたのではなかろうか。 |
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申師任堂の生家「烏竹軒」は、現在の江原道江陵市にある。 |
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周囲に茎が黒い竹が自生していることからその名がつけられた。 |
師任堂がソウルの嫁ぎ先に発つときに詠んだ”踰大關嶺望親庭詩 ”「大関嶺を越え故郷の家を望む」という詩が残されている。 慈親鶴髮在臨瀛 年老いた母を故郷において 身向長安獨去情 ひとりソウルに発つこの心 回首北坪時一望 ふり返ればはるかに遠く 白雲飛下暮山靑 白雲だけが暮れゆく山を降りていくーー 大関嶺は江陵の西、太白山脈山中にあり、韓国のアルプスといわれる峠である。私が旅した夏、濃い霧が行くてを覆い近より難さと威厳を見せた高峰「大関嶺」は、冬には凍てつく壁となって師任堂の前に立ちはだかったことだろう。 烏竹軒に残る、彼女の手による手芸品の数々と、草虫図や葡萄図などの絵は、故郷に残してきた母親を思いながらソウルで一針一針に丹精込めた、女性としての普遍性を生きた彼女の姿であり、身の回りの小さなものを愛し描きつづけた画家、師任堂の姿を彷彿とさせた。 目を閉じるとそこには、一瞬一瞬を真摯に逞しく生き才能を開花させたチャムコッ(真の花)師任堂の姿が見えてくる。わずかに芽吹きはじめた枝を、春風にしなやかに揺らす柳の木とともに…。 |
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大関嶺(テガンリョン)は、太白山脈の山中、江原道江陵の西に位置する高さ832mの峠。 冬には凍りつき、冬でなくてもこの峠を越えてソウルとの間を往来する旅人には大きな障害となった。 写真:JeongGyu Gim (김 정규)江陵市 |
吉田美智枝 by Michie Yoshida |
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